日本人なら誰もが知っている日本昔ばなし「桃太郎」、今回はそのモデルとなった吉備津彦命(きびつひこのみこと)を主祭神とする「吉備津神社」へ行ってきました。
ここは私が小学生のころ、夏休みの絵の宿題を描きによく通った思い出の場所になります。
「吉備津神社」は、JR岡山駅からJR吉備線(ももたろう線)で約20分の吉備津駅から徒歩で約10分、のどかな雰囲気のところです。
この辺り一帯はかつて吉備国と呼ばれ、その後吉備が備前、備中、備後の三国に分けられました。
吉備津神社は、仁徳天皇が吉備国に行幸された時に建立されたもので、当時の備前・備中・備後の一宮(いちのみや)として全国の人々から信仰されました。
火事により一度は消失しましたが、1425年、室町幕府三代将軍・足利義満により、天皇の勅命で30年ほどの長い歳月を経て再建され現在に至ります。
■吉備津神社にある桃太郎伝説■
吉備津神社は古くから桃太郎伝説の舞台といわれています。神社の主祭神である吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、古事記や日本書紀にも登場する皇族の一人です。
崇神(すじん)天皇によって国土を平定するために選抜された4人の皇族将軍である四道将軍のひとりとして、吉備国で略奪などの野蛮な行いをしていた温羅(うら)一族を討伐するべく派遣されました。
吉備津神社に伝わる縁起によれば・・・
吉備には温羅(うら)という鬼がいて人々を困らす悪さをしておったそうな。
このため孝霊天皇の皇子、吉備津彦命が征伐に行幸し今の吉備津神社のあった所に陣を構え「鬼ノ城」に棲む温羅と対峙した。
命は得意の剛弓で矢を射るも温羅は山ほどの岩を次々と投げこれをことごとく落す。
矢の落ちたところに今も「矢喰の宮」が建つが、これはいかんと命は二本の矢を同時に射、片や大岩に、残る一方が見事温羅の目に命中。どくどくと流れる血が「血水川」となった。
たまりかね、温羅は鯉に化け流れに身を隠す。それを見た命は鵜と姿を変え、今の「鯉喰神社」のある場所でついに逃れる温羅を捕らえたという・・・。
吉備津彦命は温羅退治のために、吉備中山の山麓(現在の「吉備津神社」の場所)に本陣を構えて成敗をしたとされています。
また桃太郎のお供といえば、犬・猿・雉(きじ)ですが、吉備津彦命の家来の中に、犬飼部犬飼健命(いぬかいべのいぬかいたけるのみこと)と、猿飼部楽々森彦命(さるかいべの
ささきもりひこのみこと)、鳥飼部留玉臣(とりかいべのとめたまおみ)の3名がいたと云い伝えられています。
それぞれの名前から一字をとって【犬】【猿】【雉(鳥)】となったのでしょうか?
ちなみに犬飼部犬飼健命(いぬかいべのいぬかいたけるのみこと)は、日本の歴史的な出来事である五・一五事件で暗殺された犬養毅元首相の先祖だといわれています。
■本殿・拝殿(国宝)■
本殿は京都府の八坂神社に次ぐ大きさで、さらに島根県の出雲大社の約2倍以上の広さを誇ります。
本殿と拝殿は、室町時代の建築様式に類似した特殊な構造で、建築学上は「比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)」と呼ばれますが、これは他に類の無い全国で唯一の形式
であるということから「吉備津造」ともいわれています。
「比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)」は、入母屋の屋根が2つ並び、間に棟を挟んで融合したような美しい格好が特徴です。
美しく装飾が施された千鳥破風が隣り合う様子は、「番(つがい)の鳳(おおとり)が翼を広げた姿」とも称されます。
そして、屋根の全体を檜の皮で葺いています。これは檜皮葺(ひわだぶき)と呼ばれ、屋根葺手法の一つで、檜(ひのき)の樹皮を用いて施工する 日本古来の歴史的な手法です。
寺社建築に関する勉強をしていると、「檜皮葺(ひわだぶき)」だとか 「杮葺き(こけらぶき)」という 、屋根葺手法 がよく出てきます。
♪ここで豆知識♬
●檜皮葺(ひわだぶき)はヒノキの皮を使って葺いていきます。
この伝統技術は2020年にユネスコ無形文化遺産に登録されており、京都御所や八坂神社などの上級建築に古くから使われています。
●杮葺き(こけらぶき)は木の薄板を幾重にも重ねて施工する工法です。その板厚は2~3mmだそうです。
※柿と書きますが、柿の木を使うわけではありません!
本殿・拝殿では、平成の大改修工事が行われ、檜皮屋根葺き替え工事が行われています。
工事は平成16年12月に始まり、内装なども改修され平成20年9月まで続きました。
内部は外側から外陣・朱の壇(あけのだん)・中陣・内陣・内々陣と入れ子構造になっており、しかも、内部に向かうにつれて床が高くなる特異な構造です。。
壁面上半には神社には珍しい連子窓がめぐらされています。
このあたりも吉備津神社ならではの特徴になります。
またもう一つの大きな特徴は、神社本殿では唯一の大仏様(天竺様)の応用です。
東大寺再建に尽力した僧・重源が大陸よりもたらした大仏様(天竺様)の「挿肘木(さしひじき)」といわれる組物により、この本殿の極めて深い軒や回縁を支柱もなしに一軒で
つくり、実に美しく調和した建築美を生み出している。
白漆喰塗りの異様に高い土壇(亀腹〈かめばら〉)上に建っており、類例を見ない・・・・・(公式サイトより)
大仏様(天竺様)の代表的な建築物といえば、「東大寺南大門 」や「浄土寺浄土堂」があります。
亀腹(かめばら)はその様子が亀のお腹に似ていることからその様に呼ばれています。
寺院建築では良く見られるそうですが、神社建築で使われているのは珍しいとのこと。
「挿肘木(さしひじき)」とは「柱に刺さった肘木(ひじき)」のことです。
「肘木(ひじき)」とは柱や束の上部におく短い横架材で、桁などの横架材を柱や束だけで支えずに荷重を分散するために、柱と横架材のあいだにはさむ部材のことです。
屋根の重い荷重を支えるために編み出されたこの手法ですが、何度見ても実に美しいフォルムです。
■南随神門と北随神門(国の重要文化財)■
延文2年(1357年)再建の南随神門と天文12年(1543年)再建の 「北随神門」 は、共に国の重要文化財となっています。鳴釜神事の行なわれる御釜殿は慶長17年(1612年)
の建築で国の重要文化財に指定されています。
■回廊(岡山県指定文化財)■
拝殿の右手に位置する美しい回廊は約360mに及ぶ圧巻の長さで、岡山県の重要文化財に指定されています。本殿と御釜殿等をつないでおり、両下造の本瓦葺です。
回廊の柱と柱の間である一間(いっけん)ごとにその建立費用を地域住民である氏子から募ってできたのだとか・・・
まるで時代劇の中に迷い込んだかのような不思議な感覚になる場所でした。
■鳴釜神事(御釜殿:国の重要文化財)■
廻廊を右に曲がった先にあるのが「御竃殿(おかまでん)」。
古代、外国からやってきてこの地に住み着き、民衆を苦しめていた温羅(うら)を朝廷から派遣された吉備津彦命が退治してその首領である温羅の首をここに埋めたと伝えられています。
首領である温羅の首は地下に埋めても13年間もうなり続けたといわれ、その伝承をもとにした、炊き上げる釜の鳴る音で吉凶を占う「鳴釜神事(なるかましんじ)」が現在でも行われています。
神官が祝詞を奏上するころ釜から出る音の大小長短によって吉凶禍福を自分の心で判断します。いい音だと思えば吉、あまりいい音ではないと思えば凶。
とても神秘的な神事ですね。
実は、吉備津神社だけにお参りするのは「片参り」ともいわれるとか。
せっかくお参りされるのであれば、吉備津彦神社にもお参りしてみて下さい。
吉備津神社の最寄駅である吉備津駅から一駅(約1.5キロ)先にある備前一宮駅を降りると目の前に広がる「吉備津彦神社」。吉備津神社の分社として造られた神社です。
樹齢は約千年と言われている平安杉という御神木が有名です。
ぜひ1度、吉備の歴史に思いをはせながら訪れてほしいパワースポットです。
この記事を書いた人
- お客様との出会いを大切に、親切・丁寧そしてわかりやすい説明を心掛け、日々勉強をさせて頂いております。お取引の後にいただくお客様のお喜びの声が私の一番の報酬です。今までの経験を活かし、一生懸命お手伝いさせていただきます。
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